宮澤賢治の作品に登場する風景を「イーハトーブ風景地」として日本の文化財保護法に基づいて名勝として指定されてる。
似たようなものに松尾芭蕉の「奥の細道景勝地」というものがある。
「奥の細道」に登場する場所を指定している。
宮澤賢治を追いかけて行くと、この奥の細道とクロスする。
宮澤賢治が最後に務めた「東北採石工場(イーハトーブ風景地ではないが)」のある一関は、芭蕉が「五月雨の 降残してや 光堂」とよんだ平泉より北にある。
というわけで、今日は平泉を散策した。
宮澤賢治の作品に登場する風景を「イーハトーブ風景地」として日本の文化財保護法に基づいて名勝として指定されてる。
似たようなものに松尾芭蕉の「奥の細道景勝地」というものがある。
「奥の細道」に登場する場所を指定している。
宮澤賢治を追いかけて行くと、この奥の細道とクロスする。
宮澤賢治が最後に務めた「東北採石工場(イーハトーブ風景地ではないが)」のある一関は、芭蕉が「五月雨の 降残してや 光堂」とよんだ平泉より北にある。
というわけで、今日は平泉を散策した。
宮澤賢治の見たであろう風景を追って、山や川を訪ねる。
賢治の頃はどうだったのか知らないが、行く先々で「クマ注意」の看板に出くわす。
一人旅の場合、これはなかなか厳しいものがある。
風景に浸りたいが、別のアンテナが働いてしまう。
葉や木々の擦れる音、もちろん鳥やカエルや虫たちは鳴いている。
茂みの中に何か潜んでいて、こちらの様子を窺っているのではないかと。
私はそういったものに対しての知識はないので、そこまでのことだが、賢治は森のことをもっと詳しく知っていたに違いない。
童話や心象風景で語られる描写は、詳細で豊かな感性に彩られている。
彼は、森の中を歩きながら、そこに潜む様々なものと会話していたのだろう。
宮澤賢治の思いの全てが集約された場であり時間。
北上川の河畔にある「下ノ畑」は、美しかった。
もちろん賢治自身が育てていた当時は、このような形ではなかったかもしれない。
でも、「下ノ畑」を残そうとしている人たちの思いが畑を美しくしていることは確かだと思う。
賢治の畑も美しかったに違いない。溢れる思いがあったのだから。37歳はあまりに早いな。
「イーハトーブの風景地」というものがある。
宮沢賢治の作品の源泉となった景観を、文化財保護法に基づきいて名勝として指定したものだ。
その中に「七ツ森」というのがある。岩手山を好んだ賢治が、度々訪れた雫石を特徴づける景観と言えるかもしれない。
ただ、道の駅にあったパンフを頼りに行っても、なかなか分からず、道で作業している方に教えていただいた。
その時、今は森が六つしか見当たらない。というような事を聞いた。
2つの森には登ってみたが、7つの森を見渡せる環境がなく、なんだか釈然としない。
男鹿真山伝承館でナマハゲを見た。
ナマハゲは男鹿半島に続く、大晦日から正月に掛けての風習で、ユネスコ無形文化遺産にもなっている。
男鹿の各地で面や所作は異なるが、伝承館では、真山(しんざん)地区の古いスタイルのものを見せてもらえる。
このナマハゲには角はない。お山(真山という山)からの神様のお使いとして登場するわけだから、鬼のような角はないのだという。
このナマハゲは、今年の豊作を感謝され、来年の豊作を約束して去っていく。まさしく山の神、田の神だと感じた。
白神山地が世界遺産に選ばれるずっと以前に、白神山地のマタギの事を新聞か雑誌の記事で読んだことがある。
世界遺産30周年なのだから、相当昔の話だ。
今日、白神山地のブナ林を散策してきた。明るい森で、想像していたのとは随分違った。
聞くと、新緑の頃は明るいが、葉の色が濃くなるにつれて、印象が変わるそうだ。(新緑は下から、濃くなるのは上からだそうだ。紅葉は上から)
世界遺産になった時点で、狩猟や採集を行うことはできないので、マタギの仕事は成り立たなくなったそうだ。
最後の後継者の方も亡くなられているそうだ。
夏泊(なつどまり)という素敵な名前に惹かれ、雨の中足を伸ばすことにした。
「誰がこんな素敵な名前をつけたんだ?! 春でも秋でも冬でもない。夏なんだよ。」とわけのわからないことをつぶやきながら、傘をさして歩いた。
こんな時に写真を撮るのは至難の業である。それでも、片手で持ってシャッターを切る。いいのかこれで?
それほどまでに、夏泊に当てられていた。
腰までの茂みに溜まった水滴をジーンズが吸い取る。シューズの中は、すでにグッショリしている。
山の三角点には到達できたが、その先となると、もはや道が見えなくなりかけている。
10分ほど粘ってはみたが…断念した。
Wikiによれば、「夏泊」はアイヌ語の「ネトゥトマリ」が元になっているそうだ。その意味については書かれてなかった。
今日の遊歩といい、夏泊の語源といい、いい所まで行ってはいるのだが、釈然としない終わり方で、なかなか納得できていない。
本州に戻り、真っ先に向かったのは恐山。
北海道に渡る前には日程が合わなかったので、期待も大きかった。
子供の頃にイメージしていたものとは随分と違って、とても正当な寺院施設だと感じた。
地獄めぐりが特徴的だが、そこには素晴らしい光景が配されていた。
ストーリーを成立させ、巡る者の心に突き刺さる光景だと思った。
4月28日に函館に到着し、約10日で北海道を一周してきたことになる。
どうなんだろう。ただ岬を回るだけなら、もっと早く回れたのかもしれないが、縄文やアイヌなど、新たに興味を惹かれるものに出会えたことを考えると、そうした所にもう少し時間を費やしても良かったのかもしれない。
あるいは、一日に10ヶ所も回るのではなく、一ヶ所に費やす時間をもっと増やすという考えもできたのかもしれない。
「一日に何ヶ所も訪れず、余裕を持って行動した方がいい」などと言っておきながら、今日は灯台を10ヶ所巡ってきた。
距離もそんなに離れておらず、車を降りてからそれほど歩かないことから、一気に巡ってしまった。
ただし、到達するまでのルートを見つけるのに苦労した。
急勾配の細道を車で上がったり、民家の脇の細道に迷い込んだり、草をかき分け踏みつけしながら行ったものもある。
もちろん私一人しかいない。しかし、それだけに価値を感じるし美しいとも思える。
多くの灯台は、きっとこんな状態なのだろう。観光の対象になっているものなど、ほんの一部に過ぎないと思う。