象潟 松島

「奥の細道」で象潟は、西施に例えられるほど、松島と並ぶ美の双璧なんだと思う。

芭蕉は枕詞の旅をすることで、想像力を持って古を偲んだと思う。

そんな中、当時の象潟や松島は現実的な美が表せられたと思う。松島には今も圧倒される。

他の景勝地でもそうだが、芭蕉の風景を維持するのは、かなり難しい事だと感じた。

再び日本海へ

宮沢賢治の風景地や松尾芭蕉の景勝地を巡ったため、東北の内陸で右往左往していた。

昨日の早池峰山と岩手山を持って、一応区切りをつけ、日本海へと戻ってきた。

様々な出会いがあったが、ここでは書かない(^^)。

雨だったので、写真を撮るのに苦労をした一日だった。いっそ撮らなくてもいいのでは…と思いつつも、「美しいな〜」と思ったら取らざるを得ない。

久しぶりの日本海は荒々しい岩場が似合っていた。

早池峰山

賢治の「どんぐりと山猫」の舞台であり、柳田國男の「遠野物語」にも登場する早池峰山。

まだ山開きしていない。また私の技量では登るのは大変だと考える…ので、麓の早池峰神社を訪ねる。

座敷わらしが住むと言われる境内は、とても爽やかで心地よい。時が経つのを忘れてしまいそうだ。

この麓の神社と山頂の奥宮を結んだ線は、北極星に向かっているという。

岩手山

宮沢賢治も愛した岩手山。

子供の頃読んだ伝記にも、岩手山登山について書いてあった。

登りたいのは山々(^_^)だけど、低山歴2ヶ月の私にとって、2000mを越える岩手山は簡単な相手とは言えない。

そこでイーハトーブ風景地でもある鞍掛山に登り、正面から岩手山を拝もうと考えた。

車から見ると、山頂近くに雲はあるものの美しい姿を見せていた。

鞍掛山は登山口から2時間ほどで登れる。期待に胸を膨らませスタートした。

岩手山はほとんど雲に隠れていた。

もう少し待つか? 

下山して小岩井農場に立ち寄った。ここにも賢治の足跡があるからだ。

岩手山が見えるではないか。隣には鞍掛山も。もちろん曇りだから、スッキリ見えるわけではないが。

鞍掛山と岩手山の間にちょうど雲がかかっている。これか…

また岩手を訪れる機会があることを願っている。

高村山荘

高村光太郎が、花巻郊外で生活していた高村山荘を訪ねた。

宮沢賢治によって花巻に縁を得た高村は、戦争中花巻に疎開し、その後この地に移り住んだ。

山口にという土地にあったことから、当時は山口山荘と呼ばれていた。

写真で見たことはあったが、山荘というにはあまりにも粗末な作りに驚いた。

晩年の7年間、この東北の地の森の中に、一人で生活していくのは、よほど大変なことだったと思う。

それでもこの地を愛し、愛された高村は、死ぬ直前まで、ここに戻りたがっていたという。(仕事の関係でアトリエのある東京で亡くなった)

賢治が思い描いた「小さなかやぶきの小屋」で「雪にも…」負けない生活を、実現させているように、ふと思った。

芭蕉

今日、羽黒山だけ登ってきた。

石段が2446段ある。昨日の立石寺が1015段(こちらの方が段が高いかもしれないが)だった。

さほどきつく感じなかったのは、このトレーニングのおかげだったのかもしれない。

この後、芭蕉は月山と湯殿山にも登るのだから、ものすごい体力だと思う。体力というよりも精神力か。

険しい峠も越えているわけで、この時50歳ぐらいだと思うが、晩年である。

芭蕉のこの旅にかける思いが、鬼気迫るものでであることが伝わってくる。

そういえば今夜は三日月。芭蕉が羽黒山を訪ねたのも三日月だったらしい。

芭蕉の後を追う

金色堂で芭蕉のルートに乗ったので、松島ー山寺ー猿羽根山ー柳の清水ー本合海ー清川関所、と追いかけてみた。

出羽三山はまだ開いていないようなので、後日訪ねてみたい。

賢治と芭蕉

宮澤賢治の作品に登場する風景を「イーハトーブ風景地」として日本の文化財保護法に基づいて名勝として指定されてる。

似たようなものに松尾芭蕉の「奥の細道景勝地」というものがある。

「奥の細道」に登場する場所を指定している。

宮澤賢治を追いかけて行くと、この奥の細道とクロスする。

宮澤賢治が最後に務めた「東北採石工場(イーハトーブ風景地ではないが)」のある一関は、芭蕉が「五月雨の 降残してや 光堂」とよんだ平泉より北にある。

というわけで、今日は平泉を散策した。

森に潜むもの

宮澤賢治の見たであろう風景を追って、山や川を訪ねる。

賢治の頃はどうだったのか知らないが、行く先々で「クマ注意」の看板に出くわす。

一人旅の場合、これはなかなか厳しいものがある。

風景に浸りたいが、別のアンテナが働いてしまう。

葉や木々の擦れる音、もちろん鳥やカエルや虫たちは鳴いている。

茂みの中に何か潜んでいて、こちらの様子を窺っているのではないかと。

私はそういったものに対しての知識はないので、そこまでのことだが、賢治は森のことをもっと詳しく知っていたに違いない。

童話や心象風景で語られる描写は、詳細で豊かな感性に彩られている。

彼は、森の中を歩きながら、そこに潜む様々なものと会話していたのだろう。